善意で貧困はなくせるのか?.




「善意で貧困はなくせるのか?」
著者:ディーン・カーラン、ジェイコブ・アペル


いよいよ開発に関する本の読書録。
他に何冊か既に読んだ本があるけど、それもおいおいアップしていきたい。

原本のタイトルは、"More than good intentions"。

「善意で手を差し伸べることは素晴らしいけれど、もう一歩先に進んで、その善意がより効果的に現場に行き届くようにはどうしたらいいか?ということを考えましょう」という発想。

考え方は、行動経済学という学問に沿って、また実際の分析はランダム化比較試験(RCT=Randomized Control Trial)という手法を使って進められる。

行動経済学:
マクロな視点だけでなく、プロジェクトの対象となる実際の人間の反応や行動を観察し、彼らがどのように選択・行動し、その結果どうなるかを突き止め、最適な援助の方法を発見していく学問。

ランダム化比較試験(RCT):
あるターゲットに対して行った行動がどれくらいの効果をもたらしたかを調べるための手法。ターゲットに対してのビフォー・アフター分析を、ターゲットだけでなく、ターゲットでない人に対しても行うことで、客観的な影響をより正確にはかりとる手法。



例えば、インドの貧しい農民向けに、降雨保険を提供する話。
降雨量の少ない年に農民が受ける経済的ダメージを軽減する保険(セーフティネット)の使用率を上げようとする試みだが、どうやったら効果が上がるかを確かめるために筆者は次の分析を行う。

①パンフレットに載せる写真を変えてみる
②保険加入によって得られるメリットの記載方法を変更
③教育的なプレゼンテーション
④マンツーマンの勧誘


①②③での手法では使用率に変化が見られなかったが、最終的に④の方法で加入率が劇的に上昇することを発見。

即ち、「信頼されている組織から紹介された人による」「自宅に訪問しての」勧誘。

このように、降雨保険プロジェクトといっても、(人々の善意で)集まったお金でパンフレットを作ってばらまいて終わりでなく、対象となる国や地域に特有の事情、または人々の置かれている特殊な境遇、宗教的理由など、先進国の価値判断では(往々にして)推し量れない理由も分析した上で、最も効率の良い方法を追い求めていく。



特にマイクロファイナンスの章では、ローン利用者の実際のお金の用途を分析したり、より返済率を上げる方法(ターゲットにより返済したいと思わせる方法)などについてのケーススタディーを記録している。

マイクロファイナンス:
個人に対して少額の融資を行うことで個人の経済的独立(貧困の悪循環から抜け出し、好循環に入らせる)を促す援助手法。例えば、手作業での縫物を仕事にして、月に300ドルの収入があるも、生活費で全て消えてしまい貯蓄ができない状況にある人がいるとする。その人に対して、ミシンを買うだけのお金(例えば1000ドル)を貸してあげることによって、月々の収入が300ドルから500ドルに増えるとすれば、その人は増えた収入の中から1000ドルを何か月かかけて返済することができ、返済後は500ドルの収入を持つ仕事を独立して続けられる。




自分の今いる国で机上の理論では効果的な活動はできないことを身に染みて実感している身として、著者のディーン・カーラン(Dean Karlan)の現場の状況をよく分析してより効果的な援助の手法を考えるやり方にはとても共感を覚えた。

そして何より彼のコメント「経済開発という専門特化したお堅い世界と、必ずしもフルタイムの仕事としてでなくても貧困問題に関心を持ち、関わっている人々の幅広い世界とに橋をかけたいとずっと思っていた」。

この一文で、この人のファンになった。

この文章の通り、援助や開発と関係のない人生を送っている方や、興味はあるけど難しいテーマにはついていけないという方でも気軽にサクサク読めます。

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2015.04.24 選択。
"The human faculties of perception, judgment, discriminative feeling, mental activity, and even moral preference, are exercised only in making a choice. He who does anything because it is the custom, makes no choice. He gains no practice either in discerning or in desiring what is best. The mental and moral, like the muscular powers, are improved only by being used. (…) He who lets the world, or his own portion of it, choose his plan of life for him, has no need of any other faculty than the ape-like one of imitation. He who chooses his plan for himself, employs all his faculties. He must use observation to see, reasoning and judgment to foresee, activity to gather materials for decision, discrimination to decide, and when he has decided, firmness and self-control to hold to his deliberate decision. "
-John Stuart Mill “On Liberty”

“Las facultades humanas de percepción, de juicio, de discernimiento, de actividad mental, e incluso de preferencia moral, no se ejercen más que en virtud de una elección. Quien hace algo porque es la costumbre, no hace elección ninguna. No adquiere ninguna práctica ni en discernir ni en desear lo mejor. La fuerza mental y la moral, lo mismo que la fuerza muscular, no progresan si no se ejercitan. (…) El hombre que permite al mundo, o al menos a su mundo, elegir por él su plan de vida, no tiene más necesidad que de la facultad de imitación de los simios. Pero aquel que lo escoge por sí mismo pone en juego todas sus facultades. Debe emplear la observación para ver, el raciocinio y el juicio para prever, la actividad para reunir los materiales de la decisión, el discernimiento para decidir, y, una vez que haya decidido, la firmeza y el dominio de sí mismo para mantenerse en su ya deliberada decisión.”
-John Stuart Mill “Sobre la libertad”

「知覚、判断、識別感覚、精神的活力、道徳的判断さえも含めた人間の能力は、選択することによってのみ発揮される。何事であれそうするのが習慣だからという理由でする人は、何の選択もしない。彼は最善のものを見分けたり望んだりする訓練ができない。精神力や道徳心は、筋力と同じように、使われることによってのみ向上する。(…)自分の生活の計画を自分で選ぶのではなく、世間や身近な人たちに選んでもらっている人は、猿のような物真似の能力以外に、何の能力も必要としない。自分の計画を自分で選ぶ人は、能力のすべてを使う。現実をみるために観察力を使い、将来を予想するために推理力と判断力を使い、決定をくだすために識別能力を使う必要があるし、決定をくだした後にも考え抜いた決定を守るために意志の強さと自制心を発揮する必要がある。」
─ジョン・スチュアート・ミル「自由論」
2冊目を読み終わるのに大分時間がかかってしまった。

世界史の次は、日本史。

詳説 日本史研究 山川出版社

改定版 詳説 日本史研究 
山川出版社


先の世界史と同じく、社会人でありながら、国際人でありながら、自分の歴史に対する見識があまりに浅いことを痛感したことが購入のきっかけ(日本語を勉強しているここの国の学生が自分より日本史や日本文学について詳しいことに、驚嘆すると同時にとても恥ずかしい気持ちになった)。

高校の教科書を思い出す構成で、1冊で古代から現代までの一通りの流れを理解することができ、辞書的にも使えるため助かった。ちょうどその学生が貸してくれたテレビドラマ「信長協奏曲」を見ながら、ちらちらとこの本を読み直し、歴史上の事実とテレビドラマ上の設定を比べることでより鑑賞を楽しむこともできた(「信長協奏曲」自体は個人的には駄作だと思ったけど)。

またこの国に最初に到着した日本人とされている支倉常長(はせくらつねなが)に関しても記述があり、こうして現実世界とつなぎ合わせることで見識を深めることができた。

感想
*日本の歴史の長さ
今住んでいる中南米や、というかアメリカ合衆国も、有史とされているのは1492年以来。それ以前のことでわかっているのは非常に断片的な知識だけで、つまり、彼らの歴史の授業は実質500年そこそこしか存在しないのである。

かたや日本は、2万年も前の記録を、世界の気候の変化、発見されている動物や植物の化石の特徴、火山灰や地層などの情報から推測・解明している。「放射性炭素14Cによる年代測定によれば、日本列島における土器の出現は、今から約1万3000年前にさかのぼる」とのこと(1万6000年前とする説も)。この時代(縄文時代)は遺跡の発掘のみで、個人的な人名や歴史的事実は知られていないが、その次の弥生時代(紀元前5~紀元3世紀)の時点で、内乱が頻発していたこと、そのため女王卑弥呼をたてたこと、それにより内乱が収まったこと、また卑弥呼は夫がおらず弟が政務をとったこと、などが解明されている。

(これらが解明されているのは、中国が日本の情勢を記した書によるもの→中国大陸の歴史の長さは日本を遥かに凌ぐ。)
(日本は先進国だからこそ、最先端の研究ができ、細かい検証・課程が可能なのかもしれない。)

その時代から、中国、朝鮮半島との長きに渡る歴史、仏教、儒教(のちにキリスト教)の伝播、政治や法律などの体制の確立、農業、工業、商業の発達、文学や文化などの発展…が緻密に記録されている。



世界史と同じく、時をおいてもう一度読み直してみたい。


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