2015.01.28 自覚。
今、28歳。

同年代でも、色々な面で自分より遥かに上を行っている、と認めざるを得ない知り合いが何人もいる。

実務能力の点で、行動力の点で、人柄の点で、何かの点で、もしくは全てにおいて優れているから、自分より遥かに上を行っているのだろう。

一方、自分はどんなに心の中で考えても、エールをあげても、練習してもなかなかうまくならなかったり、欠点を直せなかったり、理解が遅かったり、理解力が足りなかったりする。能力が低いということ。


今いる国で、今やっていることは順当に学んでいたとしても、
新しい国にいって、新しいことを始めたら、0からのスタートになる。

そうしたら、自分は足踏みをしている間に周りはどんどん先にいってしまう。

そんな自分の能力の限界を感じざるを得ない瞬間もあることは、認めなくてはならない。


だからこそ、努力しなくてはならない。
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「読書録」をつけることにした。

*本を読むに至った背景
*本の内容、学んだこと
*さらに掘り下げたい事項

記念すべき第一弾は、「世界史」。

世界史 ウィリアム・H・マクニール


原題:A WORLD HISTORY 
邦題:世界史
著者:ウィリアム・H・マクニール
(※原題、"THE"でなく"A"であることに注目=ひとつの世界史、つまり世界史の一つの理解の仕方という意味。)

自分が歴史、地理、文化、ありとあらゆる世界(日本含む)のことに対して極めて無知であること、学生時代からうすうす感じてはいたけれど、学生時代はその無知を恥ずかしく思う場面(海外の人と世界の歴史・地理・文化…について話す時など)に出くわす絶対数が少なかったため、見て見ぬふりをしてほとんど忘れていた。

海外に出て、そのような場面に出くわす回数が増え、「これではいかん」と感じる頻度が増えたことと、今後世界の発展に寄与できるような人間を目指すにつれて、目先の知識だけでなく幅広いバックグラウンドも持つことが不可欠だと考えていたところに、書店でたまたま巡り合った本。

上下巻、即購入した。
合わせて地図帳も買った。



上巻は、文明誕生から紀元後1500年まで。
中東地域の文明の誕生、ギリシャ・インド・中国での文明の形成、宗教の勃興、四大文明の進展とその相互干渉。

上巻は正直、高校でならった知識もあやふやで、また現代までの距離が遠いこともあって、よく噛み砕いて理解できた自信がない。

下巻は、1500年~現代まで。
いわゆる大航海時代=アメリカ大陸の「発見」に始まる西欧文明及びキリスト教の興隆、それに対応する各地域(南北アメリカ、ロシア、アジア、アフリカなど)や各宗教(イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教など)の動き、産業革命、民主革命、世界大戦から現在に至るまでの世界の動き。

こちらは興味のあるラテンアメリカが「発見」され、歴史的な出来事もより現代に密接して関わるようになり、いよいよ現実味をもって読むことができた。



細かい知識は置いておいて、一番の感覚は、「現代を、大きな世界史の流れでみた、未来へと続く中間地点と考え、現在の自分たちの立ち位置を客観的な視点で見る」ということ。
それによって、今の現代が過去と比べてどう異質なのか、そしてこの現代はどこへ向かうのかを考えることができる。

それによって未来を予測することは難しいと思うけど。


地域や国は、結局は人間の集団だから、それはそれで大きな一つの生き物と理解していいのかもしれない。
虫、イヌ、ヒト、ゾウ、とサイズを大きくしていって、その延長線上に地域、国、ひいては地球、(宇宙…)とつづく感覚。


規模が大きい分、あらゆる動き、興亡にも時間がかかる。

人間の1対1の喧嘩は3分で決着がつくけれど、国と国の戦争は年単位の時間がかかる。
一人の引っ越しは1日で終わるかもしれないけれど、一民族の移住には年単位の時間がかかる。

でもそれを、世界史という単位で、何世紀~何世紀というくくりで見ていけば、まるで動物の本能と同じように、世界の国々(=究極的にはそこに住む人々)が、それぞれ自分たちにとって快適な方向を求めて行動を変えていくことを、見てとることができる。

未来を予測するのは難しいというのは、規模と時間の意味で。
例えば2回の世界戦争のあとの世界のテクノロジーの発展や人口の増大は異質で、人類の歴史上に類を見ないことだけど、それが500年後にどうなっているかは、戦後70年という時間では、世界史レベルでは”短すぎて”まだ断定できない。



と、ここまで大きい視点で見なくても、地球がどんどん開拓されていって、どんどん物が発明されていって、どんどん人口が増えていって、どんどん都市に人口が集まって、「今」を迎えている、その「今」も、歴史上の通過点でしかない、ということを感覚的によく理解できる。

50年後、100年後、、、の「世界」を見てみたい衝動に駆られる。
(50年後なら現実的だけど。)

もう一つは、宗教の重要性。動物の本能と書いた、国々の動きの動力は、経済と同じくらい宗教だということが本当によくわかる。
日本は、色々な宗教を受け入れつつも本気では受け入れないという、その意味では珍しい国であるようだ。
本を読んで、宗教によって起こった歴史的事実を何度も突きつけられて、ようやくわかるという感じ。


あと細かい感想は色々あるけれど、もう本当に、筆者の知識・見聞の深さ、推測の鋭さには読んでいて驚くばかりだった。





受験勉強で世界史を勉強しているときに、ゆっくり丁寧に1週するより、ざっと早足に3週した方が良いということを読んだことを覚えている。

その通りだと思う。

少し時間を置いて、また読み直してみたい。

将来、文化の違う他の地域・大陸に移ったら、また読み直してみたい。

そうしたら、もっとずっとずっと世界の全体図が理解できる気がする。


著者のマクニールさんは、他に「疫病の世界史」「戦争の世界史」という本も出している。
それぞれ疫病、戦争という切り口からみた世界史。
これも読んでみたら理解深まるだろう。
(1クリックで家に本が届く環境にいたらきっと買っていると思うけど。)

ただ自分への必要度からいうと、次は日本史を読みたい。




さらっと記録しておくつもりだったのに、こんなに長文を書いてしまった。。。
2015.01.16 反芻。
つい先日書いた、「忍耐力を無くさない」こと。

ここ数日立て続けに、自分で書いたテーマを試すかのような、ストレスのかかる出来事が続いている。

何度も自分に言い聞かせよう。
お金の力に任せて何事も自分のやりたいようにやる、
途上国に住むそんな外国人にはなりたくない。


2015.01.12 露出。
なんだかんだいっても、世界には若くして日本を飛び出して、世界で一生懸命自分の色を出そうと頑張っている日本人は大勢いる。

僕のように仕事をしている人もいれば、数年間に渡る旅をしている人もいるし、何かの修行に励んでいる人もいるだろう。

そこで重要なのは、人里離れた地にいる自分の存在を、どうやって世界にアピールするかだと思う。
別に他人に知られなくても構わない、自分だけが自分のやるべきことを理解していれば良い、という考え方の人もいるだろう。
その考え方は、個人的には尊敬する。
「他人の応援」という外部のエネルギーを借りずに、「自分の情熱」という内部のエネルギーだけで進める人ということだから。

ただ僕は、せいいっぱい表現すべきだと思う。アピールすべきだと思う。
それによって、知り合いが増え、結果的には自分の世界が広がるから。

ぼくがいる国は日本人が少ないけれど、その少ない人達との出会いのお陰で、国のイベントに参加できたり、テレビ局からインタビューを受けたり、旅行ガイドを書く仕事を依頼されたりと、嬉しいご縁に恵まれてきた。

でも、少なすぎる。
これでは世界が小さすぎる。

これからは、恐れずにもっと自分の存在をアピールしていく必要がある。
2015.01.10 履歴。
ブログは更新したいという潜在意識はあり続けながらも、一度放置してしまうとずっと放置してしまう。
ふと何かのきっかけで思い出すと、こうして更新するようになる。

また久しぶりに過去の記事を読み返す。
大学生になって、
留学して、
社会人になって、
駐在して、
今日に至るまで。

うん、ぼくの人生、今日の瞬間まで、「今がベスト」であり続けています。



2008年「発見」…留学を機に将来の道を発見
2009年「模索」…就職活動をしながらその具体化を模索
2010年「勉強」…社会人1年目、日本、世界のことについて勉強
2011年「試練」…24歳にして駐在、自分の甘さを痛感する試練
2012年「忍耐」…駐在2年目、一人前になれるまでの忍耐
2013年「成長」…駐在3年目、ようやく実感できてきた成長
2014年「飛躍」…駐在4年目、超好成績を叩き出して実感した飛躍
2015年「転換」…You"ll see.
2015.01.08 耐性。
年末年始の休暇を友人のいるボリビアで過ごしたら、ボリビア人の温かさ、丁寧さ、礼儀正しさに本当に心打たれて、その反動で今いる国でストレスを感じている。

昨日は、いつものメンバーでサッカーをしていたら、フランス人の友人が転んで関節があり得ない方向に外れてしまい、その場で倒れて動けなくなるという事故があった。大急ぎで、24時間空いている外国人病院に連れて行ったのだが、そこでの対応が思い出すのも嫌な程最悪で、正直、この国の人間のネガティブな部分をばかりが目に付いてしまった。

今日、自分で作ったサッカーチームの練習中で、以前も一度試合したことのあるチームとミニゲームを行った。
試合中相手のことを罵り合う、残念な人達だなあと思いながらプレーしていたが、試合後は礼儀として「ありがとう」と言った。

驚いたことに、相手チームの一人が、ぼくがそれを侮辱の意味で言ったと勘違いしたのか、「何言ってるのこの中国人?お前のプレー最悪だったくせにどうしたの?日本人?中国のこと侵略しただろお前ら?」と意味不明な侮辱の言葉をかけてきた。

この国の人々の傍若無人には慣れているつもりの僕も、ありがとうの返事がそれかと唖然としてしまった。
言い返しても余計イライラするだけだし、こんなに貧しい心の持ち主なのかと残念に思うようにして、平静を保つようにしているけど、やっぱりストレスはストレス。


でも、自分の人生の今この時期、蓄えるなくてはいけないことは今後の厳しい世界で待っている勝負のための「ストレス耐性」「自己鍛錬」であって、ストレスをぶちまけたり相手のレベルに合わせることはない、と言い聞かせている。

金で何でも解決し、やりたいことはなんでもできると思っている途上国に住む外国人。
まだ20代のぼくがそういう人間の仲間入りしちゃダメだ。


2015.01.08 無条件。
勝ち取った。

ただ、まだ一つ残ってる。