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2013.08.27 本。
もし僕が本を書いたら。


読んでくれますか?
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2013.08.24 四千。
イチロー選手の母校、愛知工業大学名電高校で
当時監督をされていた中村豪氏が、当時のイチロー選手を語っている記事


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愛知工業大学名電高校、豊田大谷高校で野球部監督を務めた31年間、部員たちに口酸っぱく言ってきた言葉がある。

「やらされている百発より、やる気の一発――」

いくら指導者が熱を入れても、選手側が
「やらされている」という意識でダラダラ練習をしていたのでは何の進歩もない。

やる気の一発は、やらされてすることの百発にも勝る。
そのことを誰に言われずとも実践し、
自らの道を開拓していったのが高校時代のイチローだった。

彼と初めて出会ったのは昭和63年、私が46歳の時である。
「監督さん、すげーのがおるぞ」
というОBからの紹介を受けた私の元へ、父親とやってきたその若者は、
170センチ、55キロというヒョロヒョロの体格をしていた。

こんな体で厳しい練習についてこられるのか、
と感じたのが第一印象だった。

私の顔を真剣に見つめながら

「目標は甲子園出場ではありません。
僕をプロ野球選手にしてください」

と言う彼に、こちらも「任せておけ」とはったりを噛ました。

700人以上いる教え子のうち、14人がプロ入りを果たしたが、自分からそう訴えてきたのは彼一人だけだった。

愛知には三強といわれる野球伝統校があるが、彼が選んだのは、当時、新興チームだった我々の愛知名電高である。

監督の私が型にはめない指導をすること。
プロ入りした選手の数が全国随一だったこと。
実家とグラウンドの距離が近かったこと。
3年間寮生活をすることで、自立心を養い、縦社会の厳しさを学ぶこと。
すべてあの父子の、熟考を重ねた末の選択であった気がする。

鳴り物入りで入部したイチローは、
新人離れしたミートの巧さ、スイングの鋭さを見せた。
走らせても速く、投げては130キロ近い球を放る。
1年秋にはレギュラーの座を獲得し、
2年後にはどんな選手になるだろう、と期待を抱かせた。

非凡な野球センスを持っていたイチローだが、
練習は皆と同じメニューをこなしていた。
別段、他の選手に比べて熱心に打ち込んでいる様子もなく、
これが天性のセンスというものか、と私は考えていた。

そんなある日、グラウンドの片隅に幽霊が出るとの噂が流れた。
深夜になり私が恐る恐る足を運んでみると、
暗がりの中で黙々と素振りに励むイチローの姿があった。
結局、人にやらされてすることを好まず、
自らが求めて行動する、という意識が抜群に強かったのだろう。

自分自身との日々の戦いの中で、本人が掴んでいくより他、仕様がないのである。

人知れず重ね続けた努力の甲斐あって、
3年生になったイチローは7割という驚異的な打率を誇る打者に成長し、
「センター前ヒットならいつだって打ちますよ」と豪語していた。

プロ入り後の活躍は皆さんもご承知のとおりだが、入団1年目に彼は首脳陣からバッティングフォームを変えるようにと指示を受けたらしい。

「フォームを変えるか、そのまま二軍へ落ちるか」

と厳しい選択を迫られた彼は、フォームの修正を拒否し、自ら二軍落ちの道を選ぶ。
そしてその苦境の中からあの振り子打法を完成させるのである。

その後も評論家からは「あんなフォームで打てる訳がない」
などと酷評されたが、結局彼は自分の信念を押し通し、
球界に数々の金字塔を打ち立てた。
その根っこには、人並み外れた彼の頑固さと、
野球に対する一徹な姿勢があるのだと思う。

今年、イチローは大リーグで日米通算3,000本安打という偉業を達成したが、
これも彼にとっては単なる通過点にしかすぎないのだと思う。

いまや世界のスーパースターになったにも関わらず、
彼は毎年正月になると私の元を訪ねてくる。
その姿勢はどこまでも謙虚で少しも驕るところがない。

私がイチローを育てたと言われることがあるが、
私は彼のことをただ見守ったにすぎない。
私のほうが逆に、彼に教えられたことばかりである。
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          「致知」2008年12月号「致知随想」より
2013.08.21 嵐。
8月も20日経過。

ここから、息をつく暇もないほど大変な日々が始まる。

今まで経験したことないことだらけ。

乗り切る!
2013.08.19 兆候。
よい兆しもあったかと思えばそうでない兆しもあり。

ここは大いに悩もう。

要は、自分の中で100%これで良いと確信する道を、納得するまで調べ上げて、進むこと。

またスープが煮詰まってない。

というか全然調べられてない。

いつかこの時の自分を振り返って、この時の自分を褒めてあげられるように!
2013.08.10 通知。
あー、悩ましい。

ここから先に進まないし、進むための手がかりも見えず、時間だけが過ぎていく状態。

で困っていたおり、一つの結果が届いた。

Listening: 7.0
Reading: 7.5
Writing: 6.0
Speaking: 6.5

Overall: 7.0




Writingは、全く有効なネタが思いつかないまま無理やりひねりだした回答だったから、
しょうがないかなというところ。

Speakingは、自分のベストを尽くしてこの数字だから、これがぼくの現状なのでしょう。


とにかく、あの体調下でこの点数を取った自分を褒めてあげよう。。
2013.08.10 至高。
午後6時半、時差ボケがピークになる時間帯で、頭が重かったけれど、
新品のスパイクを手に、いつものグランドへ。

ほとんど一カ月ぶりの運動だったけど、至高の一時だった…。


太陽の下で、原っぱの上で、スポーツをすること。

たったこれだけのことが、日本ではどうしてあんなに特別なことにならなくてはいけないんだろう。


ある意味、理想の生活なのかもしれないな。
2013.08.07 具体。
ぼんやりと持っていたイメージをいよいよ具体化しなくてはいけない。

ここからどう進めればいいか、よく見えない。

もう人に頼る時期は過ぎた。


少しは自分で考えなきゃね。
2013.08.05 課題。
自分はこの帰国中に進化したとは思うけれど、

それ以上に今までやってこなかったやるべきことが露わになった。

結果、今まで以上に課題が増えた感じ。



そして時間の使い方の下手さ。

時間の使い方が下手=①実務能力の無さ、②意志の弱さを意味する。
2013.08.04 場数。
今日、大学時代の先輩の結婚式があった。

式の2週間ほど前に、披露宴の最後に先輩のお母様(バイオリニスト)が演奏されるバイオリンのピアノ伴奏を依頼された。


ずっと仲良くしてくれていた先輩だったし、そんな大事な舞台を依頼してくれるなら、と思って引き受けた。

なんとか練習時間確保して、本番までにはほぼ完璧に弾けるようになっていたんだけど。


本番はやりたい演奏ができず。



これ、一生の課題です。


演奏家でいること=本番でベストパフォーマンスを出すこと。

これができなくては演奏家とは言えない。


本番の度胸は、場数を踏むしかないという。

満員のホールで、超有名指揮者・有名オーケストラを背に演奏するバイオリニストだって、
そのステップの繰り返しでそこまできたはずなのだから。


本物の「演奏家」になりたいです。
2013.08.04 戸惑。
今回の帰国では、自分の成長を感じた以上に、
今後の世界の大きさ、競争の激しさ、道の険しさを感じた。

生半可な憧れや口だけでは、「誰」にもなれない。
しがない自分で終わる。


まずくっきりと道を定め、そのために必要なことをする。

このたった二つのことを、絶対にやれ。

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