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2012.11.26 肉体。
肉体の話。

今週土曜、最近よく顔を出すサッカー場に行って、フルコート・11人対11人のサッカーを、休み無しでたっぷり2時間半、鼻血が出るほどボールを追いかけてきた。

日曜、さすがに体が回復しきっていなかったけれど、心の中に蹴りたい欲があるのを発見しまた特に予定も無かったので、再びコートに赴き、またたっぷり2時間プレーしてきた。

終わった後に残るのは、疲労ではなく、開放感。最高の気分転換。リフレッシュ。









いま、26歳。

プロのアスリートだったら、肉体のピークを迎える時期。

自分はプロでも何でもないけど、「今がピーク」ということを十分に自覚している。

全力で走れるし、それを苦とも思わない。

多くの人が20代、それも前半、にして、「人生で一番肉体を使える時期」であることを自覚せずに
運動不足に陥る中で、今日までこの状態を保ってこれたことは、嬉しい。






運動していて、まだ「歳を取ったな…」ということを感じたことがない。


数年後には感じるのかもしれないけれど。


何歳になっても、力の続く限り走り続ける。






そう、毎週プレーしてるサッカー場は広大な原っぱ。

そして道一本隔てて、圧倒的な海が眼前に広がっている。

潮の混じった心地よい風に吹かれながら、ボールを追いかける。



日本では決して味わえない、こんな最高の"贅沢"。
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2012.11.22 視界。
仕事が激烈。
脂っこい、現場の最前線での戦いが続く。
夢に出たり、夜中に目が覚めることも出てきた。

無秩序の中に、秩序を打ち立てる。
交渉力、語学、人脈、危機察知能力、特技…自分のありとあらゆる能力を駆使して、


自分が自分のままでいられなくなりそうな、
そんな思いを分かり合える人に聞いて欲しいような、
好きな人にその思いを訴えたいような、

そんな動揺が体中を覆っている。



自分の人生を生きること。
これが全て。

世の中の狂気に巻き込まれても、
これを決して見失わない。
2012.11.16 親友。
親友が亡命した。


僕がこっちに来て一番最初の頃、まだ右も左もわかっていなかった頃に出来た友達で、
知り合った場所は家の近所のサッカー場。ゴールキーパーだった。
それがある日国立交響楽団の演奏会を聴きに行き、終演後にバイオリンの先生に挨拶しに行ったら、
楽屋から彼が出てきて、仰天した。
話してみると、彼も国立響の奏者で、ビオラ弾きとのこと。
しかも彼の家はうちから歩いて5分の近距離にあるということもわかり、あっという間に意気投合し、仲良くなった。




彼とは本当に色々な話をした。

ビオラ奏者であり指揮者である彼は、ぼくよりも遥かに遥かにクラシック音楽について精通していたし、過去・現役の指揮者や音楽家についてもとても詳しかった。ブラームスをこよなく愛していた彼は、うちにくるたびに「悲劇的」や「バイオリン協奏曲」をかけては二人でそのあまりのエネルギーに悶えていた。色々な音楽を聴くたびに、その作曲当時の歴史や背景などを語ってくれ、演奏家や指揮者の観点から難しいところなどを説明してくれた。自分がよく知っていると思っている曲でも、色々な発見を教えてくれた。

他にもサッカーの話、お互いの国の話、歴史の話、、、非常に物知りだった彼はどんな話をしても知識を披露してくれた。

喧嘩した回数は数え切れない。
他人の意見を聞き入れようとしない彼に、本気で腹が立った回数も数え切れない。

でも、意見が合わず、その場でどれだけ議論しても意見が合わず、その場では流れても、数日するとお互いの意見が少しだけお互いの中に染み込んで、「納得いかないけどまあ確かにそういう面もあるか」くらいにお互いが納得していた。

僕が国立響の演奏会に参加させてもらった時も、その後に国立響に寄付したときも、内部調整を色々と助けてくれた。




今年、国立響は米国へのツアーを行った。
期間は一ヶ月。

団員にとっては奇跡のような出来事。


ツアーの数ヶ月前、彼は語ってくれた。

「親とお前にしか言わない。今回、帰らないつもりだ」




その後どれだけ議論したか。

反対したわけではない。
ぼくは賛成も反対もしなかった。

ただ、この国の多くの人が今までそうしてきたように、後先を何も考えずに「まずは行く、それから考える」だけはするな、と口を酸っぱくして言った。

「わかってるよ、オレはそうはしない」

とその度に言われたが、全くわかっていないので、何度も何度も何度も言った。

彼の計画を聞いたが、穴だらけなので、何度も何度も指摘してしっかり調べろと言った。

そんなこと調べる必要はないと主張し口論になったが、絶対に調べろと言った。

プライドを傷つける言い方だけれど、敢えて「外の世界はそうではない、俺を信じろ」と言った。




出発前夜。

荷造りを手伝い、写真を撮り、最後に彼の犬の散歩に行った。
賢い犬は、彼が遠くに出かけることがわかっている。
荷造りをしているスーツケースの中に入り込み、必死の抵抗を試みていた。
何日か前から夜になると彼のベッドにもぐりこんできて一緒に寝ていたという。


午前1時、なんとか荷造りを終えて、最後に家の前を散歩をしながら、彼はまだ悩んでいた。

「よく考えてみたけど…不安になってきた。この国は終わってるし将来のチャンスも全く見えないけど、少なくとも自分は国立響の団員で、演奏したり指揮したりできる。生活も生きていくには困らない。向こうにいってチャンスをつかみたいけれど、スーパーのゴミ掃除をして生きていくのは嫌だ」


ぼくはもう一度伝えた。

チャンスをつかむにしても、音大に入学するにしても願書受付期間があり、その後に入学試験があり、実際に授業が始まるのは半年後…のように、この国以外の国では、厳然たるルールが存在するのだと。

オーケストラの指揮者や団員の仕事が一朝一夕で振ってくることなど期待するなと。
今日応募して明日から棒を振れると思うなと。
奨学金に合格しようと何をしようとそれまでは自分で食べていかなくてはいけないと。
世の中は、非常にシステマチックに動いているんだと。
そこを十分に心得た上で決断しろと。

彼は、珍しく神妙に話を聞いてくれていた。


最後に抱き合って分かれたが、正直、ぼくはこの時「彼は戻ってくるだろう」と思った。
「迷いがあるのなら、全てを振り切ることはできないだろう」と思った。







一ヵ月後。



オーケストラが戻ってきた日、彼は戻ってこなかった。




彼の母親と話した。


「チャンスは一度しか降りてこない、今を逃したらもう一生チャンスは無い」

と、決断したとのこと。




国を捨てること。
家族を捨てること。
「イリーガル」になること。

即ち、生きていくためのなんのバックグランドも無い存在になること。


この国の人間が「挑戦」するために払わなくてはいけない代償の大きさと、
その代償を払ってでも挑戦することに決めた彼の決意の大きさと…









自分が生まれ育った環境には存在しない出来事。




幸い、今のところ彼をサポートしてくれている人間に巡りあえているよう。

いつか戻ってくるかもしれないし、すぐ戻ってくるかもしれないし、一生戻ってこないかもしれない。








彼を取り巻く環境が、彼を導いてくれることを、心の底から祈ります。


2012.11.16 前進。
Yo no se lo que es el destino. Caminando, fui lo que fui.

「私は運命なんていうものは知らない。歩きながら、今の自分になったのだ。」



将来こんなことを後進に伝える存在になる。


俺は今、前に歩いているか?
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