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2018.01.20 統計。
統計は嘘をつかない。


2017年
初ゴール 5月
年間トータル 7ゴール
ほとんどのゴールがtap inゴール

2018年
1月20日まで 既に3ゴール。
そして3点とも本物のゴール。





うまくなっている。


うまくなっているぞ。
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2018.01.10 無駄。
日本の「飲み会」ほど無駄なものはないのではないか。

と真剣に考えてしまう。
・プライベートの用事で仕事を投げ出して帰ることは社会通念上許されないのに、なぜか飲み会になると上司から強制的に仕事を切り上げさせられる。
・乾杯の挨拶という意味のない挨拶。これを上司がやりたがらず他の上司にふるという意味不明なやりとりが数回繰り返される。
・乾杯という意味のない儀式。
・あとは、ひたすら差しさわりの無い話題をする、面白くないのに興味深そうな相槌をうつ、笑う、相手の飲み物に注目する、自分の飲み物が注がれたら驚いたようなリアクションをして礼を言う、を2時間繰り返す。
・国際協力に従事する人間の飲みなのだから、普段腹を割って話すチャンスのない上司に仕事の話をしてほしいし、開眼させて欲しいが、そういう話は一切してはならない。
・最後に締めの挨拶で、これを上司がやりたがらず他の上司にふるという意味不明なやりとりが数回繰り返される。
・なぜか(手頃な)部下が任命されて、「それでは、ご氏名を頂きましたので、~~~~」という意味不明な儀式が繰り返される。
・店の外に出ても全員が出るまで待ち、何度も何度も挨拶をする。
・しまいには一本締めとか言い出す。
・二次会に行くぞと上司から言われて盲従する。


これを毎回の飲み会でやり、

そして5000円も払う。



本当にこんなことが必要なのだろうか。

皆、楽しいと思ってはいないけど付き合いと思って割り切っているのか、
それとも、あの無意味な乾杯の挨拶を有意義な言葉と思って真剣に聞いているのか。

前者であっても後者であっても空しい。






2018.01.10 変化。
仕事、スポーツ、音楽のそれぞれについて年間の目標を設定し、
そしてそれを途中で放り出さないように細分化して月ごと、週ごとのノルマも設定した。

年末、12月の途中から実行しているのだが、それがここまでとてもよく機能している。

スポーツに関しては、すでに変化の兆候が表れている。

・昨日の試合では、人生最高のゴールを決めた。今までは打っても絶対に入らなかったミドルシュート。
・ふくらはぎの筋肉がついて、正座がしにくくなった。
・腕の筋肉が目に見えてつき、腹筋もついてきた。

低いレベルのゲームであれば、中盤でも前線でも仕事ができるようになってきた。

そしてまだ上に行ける。
 

細かい目標の設定→クリアできる→結果でる→嬉しい→継続できる、
の循環。これを続けたい。


今はまだスポーツと、わずかに仕事だけ。
これを音楽も並行してやっていく。


2017.12.13 振り返り。
今日は久しぶりに夜早く帰宅してサッカー日本代表の試合を観て、まだ時間があったので走ってきた。

年の瀬ということもあり、走りながら一年間を振り返ってみた。

この一年、ほぼ毎週末どこかで11人サッカーの試合をした。
一応、「今が一番うまい」状態ではある。
クリアソンファミリアという素晴らしいチームと知り合うことができたおかげで、レベルの高い試合に初心者同然の自分が入って一緒にプレーさせてくれた。その甲斐あって、他のチームでエンジョイレベルのサッカーをするときに、「できる!」と感じる瞬間もあった。

けれど、自分が望むほどはうまくなっていない。この一年、満足感を感じでグラウンドを後にしたのは、数えるほど。いや、あったかな。心・技・体の弱さを痛感して悶々としながら帰宅することの繰り返しだった。


音楽に関しては、3.11のコンサート、4.29のコンサート、10.22のコンサートと、考えてみれば3回本番を経験した。
エルシステマ・ジャパンにひもづくオーケストラに入っているお陰で、あのエディクソン・ルイスと一緒に弾くどころか友達になれたり、自分でも信じられないような経験をさせてもらえた。

団内指揮もやらせてもらって、初めて「合奏」の指揮も経験することができた。
お陰で、今まで理解していると思っていたブラームスの交響曲第一番を、100倍よく理解することができた。
今まで以上にバイオリン以外のパートにも意識が及ぶようになったと思う。

ただ、肝心のバイオリンの技術は向上どころか、たまに弾いたときに弾き散らかすだけという体たらく。
オーケストラだけで弾いていても、うまくならないのは自明。


結論、サッカーも音楽も、自分が求めるほどには上達できていなくて、全く満足できていない。


ここからが考えの肝心のところ。

サッカーやバイオリンに、時間の制約を受けずに、自分の能力と努力で辿りつける限界までチャレンジしてみたいとよく思う。
学生の時のように、心ゆくまで練習して、次の日も同じように心ゆくまで練習したい。
でも現実は、サッカーもバイオリンもあくまで趣味。
国際協力のプロとしての本業は妥協できない。

仕事も、サッカーも、音楽も、やめるつもりはなく、かつどれも今よりもっとチャレンジしたいと思うなら、できることは、他の時間をさらに削るしかない。他のことをもっと効率よくやって、または一日の時間の使い方をもっと効率よくして、なるべく多くの時間を仕事・サッカー・音楽に割けるようにするしかない。


ここまではいつも思う。でも、何度決心してバイオリンの基礎練を初めても、筋トレを始めても、仕事の忙しさの波が一回押し寄せて引いていくと、習慣として根付かない。で、しばらくして何かの刺激をうけて発奮して…の繰り返し。

この循環を抜け出して、もっと上に行くのにはどうしたら良いだろうか。

結論はふたつ。

1.外部からの刺激を増やす。クリアソンファミリアのおかげで少し成長できたように、常日頃からもっとすごい人に囲まれて、自助努力を促される環境に身を置くこと。後輩に囲まれてあぐらをかいていては成長できない。先輩に囲まれて背伸びをする環境に身を置こう。

2.それでも自分の怠惰さから抜け出せないのであれば、お金をかけてコミットしよう。

具体的行動を考えなくては。






最後に。
点と線と面の話。

大学でスペイン語を始めた。(点1)
大学でバイオリンを始めた(点2)
大学で国際協力を志した(点3)

スペイン語でオーケストラをすることができた(線1-2)
スペイン語で国際協力をすることができた(線1-3)
バイオリンで国際協力をすることができた(線2-3)

エルシステマ・ジャパンのイベントでララ・ソモスという視覚障がい者の音楽家を日本に招待して演奏会をしたとき、
スペイン語を使って彼らの世話を手伝い、バイオリンを弾いて共演し、国際協力の一助をなした(面1-2-3)

これを深化させていけば、「自分にしかできないこと」ができてくるのかもしれない。
もう少し考えてみよう。
2017.10.06 再開。
二年ぶり。

自分は熱しやすく冷めやすいというか、情熱が長続きしないところがあるので、ようやくおとずれた書きたい気持ちも、すぐに過ぎ去ってしまうのかもしれない。けど、四の五の考える前にとにかく一つ投稿してしまおう。

自分の独り言を書くのは簡単だ。

対外的に発信できるレベルのものを書くことは大変だ。

理想を言えば、日本語で、英語で、スペイン語で、読者に有益な情報や考えさせることを投じたい。
ただそれをするには、とてつもない時間をキーボードの前で過ごさなくてはいけない(そしてかつ、書くものが読者にとって読むに値するものでなければいけない)。

冷めやすい自分がそこまでできるかな。


まあ、四の五の言わすにやってみよう。

「書けるようになったら書く」では、永遠に書けないからね。
2015.06.07 一ヶ月。
帰任まで、およそ一ヶ月となった。


3月頭に上司に会社を辞めさせて頂きたい旨を報告して以来3ヵ月。

この3か月は自分の今までの人生の中でも、最も充実していてて、ストレスを感じる時間が少なく、喜びを感じる時間が多くて、正直、あと少しでこの国を去ること、今の会社を辞めることが、本当に名残惜しい。

でも、「なら、残る?」という可能性を考えてみると、答えは否。
このまま今のまま、中小の会社のサラリーマンで、仮にその中で輝く存在になったとしても結局は井の中の蛙状態で、「利己」のために生きる人生となる。

方向転換をしても、上と同じようになる可能性は同様に存在するけど、そうならない努力をしたいから。





とはいえ。

この3ヵ月、
「体が二つあったら」
「人生が二回あったら」
「二者択二できる方法があったら」
「あともう少し時間があったら」

と何回思ったかわからない。

今日も最近知り合った人と仲良くなって来て、時間さえあれば長い目で付き合っていけそうな人なのに、とても惜しい。


二者択二ができないのなら、ある可能性の中で最善の一手を打つべし。

それは、1年間が終わった後、できるだけ早く、何らかの形で、かつ自分の望む形で、また戻ってくること。

これに尽きるでしょう。


これほどまでに自分の人生に影響を及ぼしてくれた国。
知り合ってきた人々。培ってきた友情。学んできた知識。
派遣してくれた会社。辛抱して教えてくれた上司。

皆に本当に、心から感謝しています。

まだ終わっていないけど、また皆に、会えますように。


善意で貧困はなくせるのか?.




「善意で貧困はなくせるのか?」
著者:ディーン・カーラン、ジェイコブ・アペル


いよいよ開発に関する本の読書録。
他に何冊か既に読んだ本があるけど、それもおいおいアップしていきたい。

原本のタイトルは、"More than good intentions"。

「善意で手を差し伸べることは素晴らしいけれど、もう一歩先に進んで、その善意がより効果的に現場に行き届くようにはどうしたらいいか?ということを考えましょう」という発想。

考え方は、行動経済学という学問に沿って、また実際の分析はランダム化比較試験(RCT=Randomized Control Trial)という手法を使って進められる。

行動経済学:
マクロな視点だけでなく、プロジェクトの対象となる実際の人間の反応や行動を観察し、彼らがどのように選択・行動し、その結果どうなるかを突き止め、最適な援助の方法を発見していく学問。

ランダム化比較試験(RCT):
あるターゲットに対して行った行動がどれくらいの効果をもたらしたかを調べるための手法。ターゲットに対してのビフォー・アフター分析を、ターゲットだけでなく、ターゲットでない人に対しても行うことで、客観的な影響をより正確にはかりとる手法。



例えば、インドの貧しい農民向けに、降雨保険を提供する話。
降雨量の少ない年に農民が受ける経済的ダメージを軽減する保険(セーフティネット)の使用率を上げようとする試みだが、どうやったら効果が上がるかを確かめるために筆者は次の分析を行う。

①パンフレットに載せる写真を変えてみる
②保険加入によって得られるメリットの記載方法を変更
③教育的なプレゼンテーション
④マンツーマンの勧誘


①②③での手法では使用率に変化が見られなかったが、最終的に④の方法で加入率が劇的に上昇することを発見。

即ち、「信頼されている組織から紹介された人による」「自宅に訪問しての」勧誘。

このように、降雨保険プロジェクトといっても、(人々の善意で)集まったお金でパンフレットを作ってばらまいて終わりでなく、対象となる国や地域に特有の事情、または人々の置かれている特殊な境遇、宗教的理由など、先進国の価値判断では(往々にして)推し量れない理由も分析した上で、最も効率の良い方法を追い求めていく。



特にマイクロファイナンスの章では、ローン利用者の実際のお金の用途を分析したり、より返済率を上げる方法(ターゲットにより返済したいと思わせる方法)などについてのケーススタディーを記録している。

マイクロファイナンス:
個人に対して少額の融資を行うことで個人の経済的独立(貧困の悪循環から抜け出し、好循環に入らせる)を促す援助手法。例えば、手作業での縫物を仕事にして、月に300ドルの収入があるも、生活費で全て消えてしまい貯蓄ができない状況にある人がいるとする。その人に対して、ミシンを買うだけのお金(例えば1000ドル)を貸してあげることによって、月々の収入が300ドルから500ドルに増えるとすれば、その人は増えた収入の中から1000ドルを何か月かかけて返済することができ、返済後は500ドルの収入を持つ仕事を独立して続けられる。




自分の今いる国で机上の理論では効果的な活動はできないことを身に染みて実感している身として、著者のディーン・カーラン(Dean Karlan)の現場の状況をよく分析してより効果的な援助の手法を考えるやり方にはとても共感を覚えた。

そして何より彼のコメント「経済開発という専門特化したお堅い世界と、必ずしもフルタイムの仕事としてでなくても貧困問題に関心を持ち、関わっている人々の幅広い世界とに橋をかけたいとずっと思っていた」。

この一文で、この人のファンになった。

この文章の通り、援助や開発と関係のない人生を送っている方や、興味はあるけど難しいテーマにはついていけないという方でも気軽にサクサク読めます。

2015.04.24 選択。
"The human faculties of perception, judgment, discriminative feeling, mental activity, and even moral preference, are exercised only in making a choice. He who does anything because it is the custom, makes no choice. He gains no practice either in discerning or in desiring what is best. The mental and moral, like the muscular powers, are improved only by being used. (…) He who lets the world, or his own portion of it, choose his plan of life for him, has no need of any other faculty than the ape-like one of imitation. He who chooses his plan for himself, employs all his faculties. He must use observation to see, reasoning and judgment to foresee, activity to gather materials for decision, discrimination to decide, and when he has decided, firmness and self-control to hold to his deliberate decision. "
-John Stuart Mill “On Liberty”

“Las facultades humanas de percepción, de juicio, de discernimiento, de actividad mental, e incluso de preferencia moral, no se ejercen más que en virtud de una elección. Quien hace algo porque es la costumbre, no hace elección ninguna. No adquiere ninguna práctica ni en discernir ni en desear lo mejor. La fuerza mental y la moral, lo mismo que la fuerza muscular, no progresan si no se ejercitan. (…) El hombre que permite al mundo, o al menos a su mundo, elegir por él su plan de vida, no tiene más necesidad que de la facultad de imitación de los simios. Pero aquel que lo escoge por sí mismo pone en juego todas sus facultades. Debe emplear la observación para ver, el raciocinio y el juicio para prever, la actividad para reunir los materiales de la decisión, el discernimiento para decidir, y, una vez que haya decidido, la firmeza y el dominio de sí mismo para mantenerse en su ya deliberada decisión.”
-John Stuart Mill “Sobre la libertad”

「知覚、判断、識別感覚、精神的活力、道徳的判断さえも含めた人間の能力は、選択することによってのみ発揮される。何事であれそうするのが習慣だからという理由でする人は、何の選択もしない。彼は最善のものを見分けたり望んだりする訓練ができない。精神力や道徳心は、筋力と同じように、使われることによってのみ向上する。(…)自分の生活の計画を自分で選ぶのではなく、世間や身近な人たちに選んでもらっている人は、猿のような物真似の能力以外に、何の能力も必要としない。自分の計画を自分で選ぶ人は、能力のすべてを使う。現実をみるために観察力を使い、将来を予想するために推理力と判断力を使い、決定をくだすために識別能力を使う必要があるし、決定をくだした後にも考え抜いた決定を守るために意志の強さと自制心を発揮する必要がある。」
─ジョン・スチュアート・ミル「自由論」
2冊目を読み終わるのに大分時間がかかってしまった。

世界史の次は、日本史。

詳説 日本史研究 山川出版社

改定版 詳説 日本史研究 
山川出版社


先の世界史と同じく、社会人でありながら、国際人でありながら、自分の歴史に対する見識があまりに浅いことを痛感したことが購入のきっかけ(日本語を勉強しているここの国の学生が自分より日本史や日本文学について詳しいことに、驚嘆すると同時にとても恥ずかしい気持ちになった)。

高校の教科書を思い出す構成で、1冊で古代から現代までの一通りの流れを理解することができ、辞書的にも使えるため助かった。ちょうどその学生が貸してくれたテレビドラマ「信長協奏曲」を見ながら、ちらちらとこの本を読み直し、歴史上の事実とテレビドラマ上の設定を比べることでより鑑賞を楽しむこともできた(「信長協奏曲」自体は個人的には駄作だと思ったけど)。

またこの国に最初に到着した日本人とされている支倉常長(はせくらつねなが)に関しても記述があり、こうして現実世界とつなぎ合わせることで見識を深めることができた。

感想
*日本の歴史の長さ
今住んでいる中南米や、というかアメリカ合衆国も、有史とされているのは1492年以来。それ以前のことでわかっているのは非常に断片的な知識だけで、つまり、彼らの歴史の授業は実質500年そこそこしか存在しないのである。

かたや日本は、2万年も前の記録を、世界の気候の変化、発見されている動物や植物の化石の特徴、火山灰や地層などの情報から推測・解明している。「放射性炭素14Cによる年代測定によれば、日本列島における土器の出現は、今から約1万3000年前にさかのぼる」とのこと(1万6000年前とする説も)。この時代(縄文時代)は遺跡の発掘のみで、個人的な人名や歴史的事実は知られていないが、その次の弥生時代(紀元前5~紀元3世紀)の時点で、内乱が頻発していたこと、そのため女王卑弥呼をたてたこと、それにより内乱が収まったこと、また卑弥呼は夫がおらず弟が政務をとったこと、などが解明されている。

(これらが解明されているのは、中国が日本の情勢を記した書によるもの→中国大陸の歴史の長さは日本を遥かに凌ぐ。)
(日本は先進国だからこそ、最先端の研究ができ、細かい検証・課程が可能なのかもしれない。)

その時代から、中国、朝鮮半島との長きに渡る歴史、仏教、儒教(のちにキリスト教)の伝播、政治や法律などの体制の確立、農業、工業、商業の発達、文学や文化などの発展…が緻密に記録されている。



世界史と同じく、時をおいてもう一度読み直してみたい。


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2015.03.25 投函。
今日、大事な書類を投函した。

今年・来年の生活に関わり、さらに将来に響く自分の経歴にも関わる、重要な奨学金の応募書類。

作成・投函にあたって、色々な人に助けてもらった。

そもそも自分が住んでいる国では、書類が集まらなかった。
家族にお願いして、一旦家族のもとに全て書類を集めてもらい、そこから投函してもらった。
書類の作成にあたっても、教授・上司・友人…面倒なお願いに対応してもらった。

もし選考に漏れたとしても、皆への恩は絶対に忘れないし、恩返しをできる人間でいようと思う。


あとは祈るのみ。
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